2020年05月26日

最後の三県に残って

塩谷もも(島根県立大学)

私が暮らす島根は、新型コロナウィルスの感染者が発表されたのが、日本の中でかなり遅い県だった。感染者が発表されていない県が少しずつ減っていき、地図の中では島根、鳥取、岩手の三県が白く残り続けていた。最後までどの県が残るか?暗くなりがちな日々の中で、インターネット上では、「田舎センバツ」という言葉で、ユーモアの混じった情報配信もされていた。

「都会」を中心に、紙製品が品薄というニュースを見ながらも、こちらでは普通に売られている状態が続いていた。ただ、マスクだけが店頭から消えた。こうした状況の中で、なんとなく、「都会」との温度差を感じて、実感がわかない日々が続いた。そして、無理なことと分かっていながらも、感染者が出ていない県として、できるだけ長く残り続けてほしいと願っていた。

「都会」と同時に、「海外」との温度差もひしひしと感じた。インドネシア、シンガポール、アメリカ、オーストラリア、オランダに暮らす友人たちからは、コロナ騒ぎが始まった2月頃から、SNSを通じて連絡が頻繁に来るようになった。その中には、長いこと連絡をとっていなかった人々も多く含まれている。外出制限や外出取り締まり、在宅勤務、休校、万が一を考えての食料品の買いだめなど、様々な情報が入ってくるようになった。しかし、こうした情報を聞いても、やはり遠くで起きていること、の感覚が強かった。職場に通って普通の日常が続いている、という私の話に逆に驚かれることも多かった。

3月上旬に出張で訪問するはずだったインドネシアの友人は、国際空港近くに住んでおり、訪問時に空港で会う約束をしていた。しかし、2月末になると、コロナウィルスが怖くて空港へ行くのは避けたいので、会う場所を市内に変更してほしいと連絡がきた。訪問日が近づくと、やはり今回は会わずに、ビデオコールで話すだけにしてほしい、というメッセージが来た。日本からの訪問者に会うのが、とても心配だったようだ。その反応を見て、自分が、もしインドネシアにコロナを持ち込んで、他の人にうつしてしまったら、という恐れも膨らんでいった。

また、空港・飛行機での移動を経て、もしも自分が島根にコロナを持ち帰り、最初の感染者として公表されたら、そして周囲の人が感染してしまったら、という心配が非常に強かったことも事実だ。同僚たちとも、「地方」で最初の一人になる怖さは、日々話していた。出張に行って本当に大丈夫なの?本当に行くの?という声とともに、不安が膨らんでいった。ここには通勤ラッシュなどの「密」はないかもしれないが、人のつながりはより「密」なのだ。現在、感染者の発表されていない岩手の方々が、同じような気持ちを抱えて生活されているのも想像ができる。

勤務する大学では、4月に入って規模縮小の入学式があり、当初は通常通りの形式で、授業開始の準備が進んでいた(その後、開始時期は延期となった)。その中で、4月9日の夜に県内最初の感染者発表があった。翌日には、お隣の鳥取県でも、最初の感染者発表がなされた。そこから、コロナが一気に現実のものになった。テレビで報道されていたものが売り切れるという現象がおこり、大学でオンライン授業の導入も急遽決まった。ニュースで見ていたことが、突然に「現実」となった瞬間だった。

感染予防のビニールシートの導入、ビニール手袋の着用、間隔を保っての列づくり等々…ここにも、徹底して人との接触を制限する生活がやってきた。まさに人と人の間に壁を作るウィルスであることが、目に見えて実感できる。その一方で、これまであまり連絡をとっていなかった人、特に海外の友人たちから連絡がくるという変化が起きている。日本の状況を知りたいのと同時に、おそらく在宅勤務などで余裕ができたことが、関係しているのだと思う。コロナは、人との接触はさまたげるが、逆にSNSなどを通じて遠くにいる人を結びつける面もあるのだと感じた。
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2020年05月24日

新冠徒然記〜差別の輪から見た文化差

錢琨(九州大学持続可能な社会のための決断科学センター)

「新冠」というのは,「新型冠状病毒」の略で,新型コロナウイルスに対する中国での一般的な呼び方です。私はコロナのことを最初に知ったのは昨年の12月31日でした。もちろんその時は「新冠」や「コロナウイルス」などのネーミングはまだなくて,SARSがまた来たよと,デマらしき情報が中国のSNS経由で拡散されました。その後大騒ぎになる武漢市華南海鮮市場を防護服の人が消毒する生々しい映像を目にして,本当かなと半信半疑でした。その当時,私は日本にいて,両親も一時来日中でした。SARSがまた起こるかもという情報を家族に伝えたら,「それは大変になるよね」と言われましたが,その後の展開は誰も想像できなかったです。

両親が1月9日に中国に帰国し,私はその後の19日に,お正月帰省のため家族連れて中国に帰りました。それからの約一週間は,WeiboやWechatのグループチャットなどでざわつきがだんだん炎上していました。21日に母方の大家族と会食して,湖北省に赴任して郷帰りしたおじさんや,看護師のいとこに疫病のことを聞いたら,誰も気にしませんでした。そして24日の大晦日(※今年は1月24日が中国の春節における大晦日),今度は父方のお爺ちゃんの家に「年夜飯(=年越しの食事)」を食べに行って,病院関係のおばさんとテレビ局勤務のいとこと話したら,そんなんて大したことないよと,家族全員に言われました。実はその日に,中国では30の省,というかほぼ全土が最高レベル(I級)の緊急事態体制が発動され,さらにその前の23日にすでに武漢封鎖が実施されました。私がいた山東省も当然緊急事態体制に入ったわけですが,それでも人間が根拠のない楽観視に堕ちてしまうと,本当に不思議に思いました。その根拠のない楽観視は決して忘れられない。なぜならば,その後は複数の国でいろんな人に,何度も同じように言われたからです。人間って,文化や社会を跨っても不条理なことはこんなに共通するんだと,後になって驚きを感じました。

一夜明けての25日,中国正月の元日,一転して中国全国が戒厳ムードに入りました。中国のお正月は,「拝年」という伝統風習がありまして,元日は親族や友人の家を互いに訪問し,新春の挨拶をする日です。本来賑やかだったはずの元日は,いきなり静寂に包まれました。前日までは日常だったのに。不要な外出は控えるということでしたが,流石に食料品を買わないといけないので,26日の午前中に町に出かけたら,生まれて初めての光景を目にしました。いつも渋滞していた市街地の片道4車線の主幹道路を走り抜いて,車がほとんどなかったです(写真1)。2日前の大晦日にはまだ普通に渋滞していたのに,48時間以内でこの光景になりました。特に警察などによる監視や警備もなかったので,自発的にこうなったと言えるでしょう。ちなみにその当時,山東省の感染者数は人口1億人に対して,63名でした。


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写真1.緊急事態発動2日後の市街地主幹道路(中国山東省淄博市,1月26日午前)


日本への帰国も早めざるをえなかったです。大空港は人が多くて感染確率が高いと思い込んで,なるべく小さい空港を探した結果,27日昼発の煙台→静岡便を予約しました。静岡空港は,天気の原因で欠航が多い空港だと知らなかったです。実家から煙台空港までは350km離れて,27日の早朝から移動し,高速道路の出入り口には全て検温体制が敷かれました(写真2・3)。やっと搭乗できて,2時間ちょいの飛行でそろそろ着陸するかなと思いきや,飛行機が富士山上空で旋回しはじめました。案の定,悪天候で着陸できず,引き返しが余儀なくされました(その日は日本全国的に荒天候だったと後でわかりましたが,あんなに短時間でも,機内では誰も外部と交信できないにも関わらず,日本が中国からの飛行機を入港拒否したとの根拠ないデマが生まれました)。目的地からの引き返しは,何百回も飛行機に乗って初めての経験でした。飛行機は翌日にリスケされたが,航空会社と空港に対して不信感を抱えて,30日の青島→福岡直行便を予約し直しました。27日煙台に引き返し後,さすがにどこにもいけなかったので,空港近くのホテルに泊まることになりました。チェックイン時,入口とフロントでの2度の検温と,湖北省と浙江省の滞在歴が確認されました。そして30日,無事日本に帰れましたが,日本についた日の夕方に,搭乗した便が2月1日から運行中止することが発表されました。


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写真2.煙台空港高速道路出口の体温検査場(中国山東省蓬莱市,1月27日午前)



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写真3.煙台空港高速道路出口での体温検査(中国山東省蓬莱市,1月27日午前)


というわけで,ここまでは全く「徒然」感がなく,むしろ慌ただしい日々でしたが,日本に帰るといきなり平和になりました。福岡も東京も,市街地に中国人観光客が姿を消した以外に,何も変化がなかったです。私は一応中国からの帰還者ということで,30日から2週間ほど自主的にマスクをかけていたのですが,何人かに「大丈夫ですよ」「気にしないでください」と優しく言われました。2月の1ヶ月間は,中国の新規感染者数もだんだん落ち着き,これで収束するかなと私も楽観的に思いはじめました。実は日本は2月21日に感染者数が100人を突破し,人口あたりの感染率は1月26日の山東省を超えはじめたということですが,いま振り返ると,緊張感が雲泥の差でした。

その後,出張のため3月3日にフィンランドに渡航しました。行くかどうかは搭乗直前まで迷っていましたが,フィンランドには感染者が7人しかいないと,また数字に騙されました。3月9日に帰国し,その3日後の12日にフィンランドの感染者がいきなり40人から155人に激増しました。まさか,私がヘルシンキに滞在した一週間はサイレントキャリーが最も多いタイミングではないかと,後になって怖くなりました。ヘルシンキは本当に,びっくりするほど誰もマスクしなかったです(写真4)。しかも面白いことに,成田→ヘルシンキ便は搭乗時には国籍問わず,ほぼみんなマスクをしていて,あんなに辛い機内環境でもマスクを外す人滅多にいなかったのに,着陸後はいきなりマスクの形跡が消えてしまいました。ヘルシンキで一週間のマスクがない生活を満喫し,おいしい(というかあぶない?)空気を吸いまくって,日本に帰ってきたら,また当たり前のようにマスクを使うことになりました。


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写真4.ヘルシンキ中央駅(3月3日午後)


その後の展開は皆さんのご存知の通りです。自宅待機・自宅勤務が始まり,外出すること,人と会うことを最小限にして,正真正銘の徒然生活が始まりました。実は「徒然」という言葉を思いついたのは,日本語の意味合いだけではなく,中国語での意味合い(つれづれや退屈よりは,むなしい・無駄というイメージが強い)も兼ねました。何がむなしい・無駄だと言いますと,このコロナ禍における,人間の心理と行動です。どうしようもないと,本当に時々思いました。

例えば,差別。先ほど言った湖北省赴任から里帰りしたおじさん,家族会食の際には,「危ないのは武漢だ。俺は荊州にいたから大丈夫。年明けて(湖北省に帰ったら)武漢からの人と距離を置けば大丈夫」と豪言した数日後,大晦日の夜に知らない隣人に110番通報されました。「あの人が湖北省帰りだからウイルス検査に持って行け」と。煙台空港ホテルで湖北省・浙江省の滞在歴が確認された時に,もし行ったことがあったらどうなるかとフロントのスタッフに聞いったら,「このホテルには泊まれないね」と軽く言われました。そう,差別は,中国の中でも存在していました。湖北省以外の人が湖北省関係の人,湖北省の人が武漢の人に対してです。武漢市の中でも,特に漢口地域(華南海鮮市場の所在地)の人が差別されたとのうわさは聞きましたが,私はダイレクトに聞いたことがないので断言できません。まあ,武漢市と言っても人口一千万,面積8千平方キロ超えの大都市なので,さらに内部の細かい地域差別が存在してもおかしくないと思います。つまり,湖北省と縁がない私にとっては,中国国内にいたら差別の対象にならないわけです。しかし1月30日,日本に帰ったらどうなったんでしょう。その当時,ウイルスのない福岡に帰れてよかった!と自分と家族の安全についてほっとしましたが,中国人に対する異様な雰囲気が漂うことも気づきました。もちろん,私の周りにいる日本人がみんな優しく,慰めのことばもたくさん頂きましたが,世間一般的,あるいは世論的・マクロ的には差別を感じたりすることも事実でした。そしてフィンランドに渡航しました。同行にはもちろん日本人もいたので,今度はアジア人,黄色人種が一括りにされて差別の対象になりました。中国人としては,同行の日本人には申し訳ない気持ちもありながら,一方で一緒に差別される「仲間」がいてよかった,という非常に複雑な心境になりました。漢口から武漢市,武漢市から湖北省,湖北省から中国,中国から東アジア,こうやって差別の輪がどんどん広がっていくことが,私の頭の中で非常に鮮明に具象化していました。このタイミングでもし異星人が地球に来たらどうなるでしょう。「あの星の人は,全員ウイルスだよ」と言われてもおかしくないでしょう。人間と同じく愚かな心理の持ち主だったら。

もう一つむなしく感じるのは,差別以外にも,人間の心理と行動に存在するバグです。私は錯視研究をしてきて,人間の視覚系における「バグ」を見てきましたが,本当に怖いのはもっと「高次」のこころのバグだと,今回のコロナ禍で実感しています。いわゆる認知バイアスとかは,多くの研究が積み重ねて,現象自体は誰でも,少なくとも心理学者としてはみんな知っているはずですが,それでも無闇に同調してしまい,認知バイアスに堕ちてしまいます。この文章に何度も出たウイルス・感染症に対する「軽視」は,実はウイルスの猛威を助長する最大の原因ではないかと思います。結局どの国でも,しっかりした対策を講じて真正面からウイルスに立ち向かおうとしたら,だいたい2ヶ月もかからずその国では収束に転じることが分かったからです。

そして,文化差です。オリンピックよりもこのコロナ禍という世界的イベント,「Citius, Altius, Fortius」という崇高な目標を追求するよりも生死の危機が迫る一人ひとりの生存欲求,後者の方がもっと生々しい文化の差を見せてくれます。中国,日本,アメリカ,イギリス,ロシア,インド,スウェーデンなど,それぞれの流儀とお作法でこの危機を乗り切ろうとしています。もちろんそれぞれの国は,政府や行政主導で対策を打っていますが,ここまで来て封じ込めの成功が見えたり,新規感染者数や死亡者数が減ったり,少なくともどの政府もこのコロナのせいでまだ崩壊していないというのは,打った対策がなんとかその国の民意を得たとは言えます。そうなると,結局それぞれの国の独特な対策の根本になるのは,それぞれの国民性,あるいは文化にあるかと思われます。このような大きな災害をそれぞれの文化に基づいた対策や抗争で勝ち抜いたとすると,自分の文化,自分の国はよくやったぜと,内集団ひいき的なものが助長され,今後のグローバル/トランスカルチャー社会に大きな影響を及ぼすのではないかと懸念しています。それに加えて,今の世界中はどの国も保身の術をとって,外国との交流を遮断しています。コロナ危機下,そしてポストコロナ・ウィズコロナ時代に入ったら,文化はどう進化していくのかは,不安を抱えつつ,見守っていきたいと思います。
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2020年05月22日

フィールドワークとコロナ禍

島田将喜(帝京科学大学・生命環境学部)

外出自粛の期間が長引く中、最近、他人との距離や表情についての認識がこれまでとずいぶん変わってきたことを実感しています。私自身は、たまに外出するとすれ違う他人との距離を大げさに取るのがごく普通になりましたし、一方で私や私の家族から距離を取ってくれない他人や、マスクを着用していない他人に対しては、つい厳しい目を向けてしまいます。ただ私は、このコロナ禍の始まる前から、野生動物を対象としたフィールドワークをする際には、他人の行動に対して、今と同じように厳しく見ていたのだと、改めて気づかされることになりました。

野生動物に対して人間が近づく場合、その種に応じて一定のルールが設けられていることが多いです。たとえば私が長年調査を続けているタンザニア・マハレ山塊国立公園の規則では、野生チンパンジーに対して観光客は10m、研究者は7m以上の距離を取らねばなりません。またマスク着用の上での観察が義務づけられています。すべてチンパンジーに対して私たちヒトが病気をうつさないための配慮です。ヒトにきわめて近縁なチンパンジーやゴリラといった大型類人猿は、ヒトが罹る病気にはほぼすべて罹ってしまいます。実際、マハレでも過去にヒトから感染した病気に罹って、私たちと長年の付き合いのあったチンパンジーが大勢亡くなってしまうというつらい経験をしてきました。

マハレの場合、研究者のチンパンジー調査中に、観光客の一団が同じ対象を見にやってくるということがよく起こります。彼らがチンパンジーたちに接近しすぎていたり、マスクを着用していなかったりするのを見ると、私は引率のガイドや経営者に厳しめに抗議して注意を促します。観光客にとっては、一生に一度アフリカの奥地までやってきて、野生チンパンジーにできるだけ接近して彼らと一緒に「映える」写真を撮りたい、そしてそれを観光業者はかなえてあげてチップをはずんでもらいたい、という気持ちはわかります。しかし一部の人のこうした配慮に欠けた行動で、マハレのチンパンジーたちに病気を感染させてしまった、といった事態になれば、取り返しがつきません。

COVID-19は人獣共通感染症だと報告されています。現時点で、コウモリやセンザンコウで見つかるウィルスの遺伝子とヒトのものとが近いことが分かっており、彼らからヒトに伝染したと推測されています。サルの仲間にも感染することがすでに確かめられており、もしマハレの森のチンパンジーの誰かに感染してしまえば・・・と想像すると本当にゾッとします。IUCN(国際自然保護連合)の専門部会は最近、基本的にすべての大型類人猿の生息地での人間活動をすべて自粛するように強く求める声明を出しました。もちろん、マハレ公園も現在は調査も観光も禁止されていますが、ヒトの国際社会でコロナ禍がひと段落したとしても、絶滅危惧種の彼らに対して、研究者や観光客がどのように接するべきなのか、コロナ禍以前よりもシビアに考えなくてはならないことは間違いありません。

フィールドワーカーの私にとって、現在のCOVID-19の状況がとてもしんどく感じるのは、一つにはもちろん今現在フィールドワーク自体ができない、チンパンジーたちに会いに行けないということが挙げられます。しかし状況が落ち着いても、もしかすると霊長類を対象とするフィールドワークという研究手法自体が許可・許容される日が来ないかもしれない。。。そういう不安を抱えながら日々をやり過ごすのが、私には一番しんどいです。
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