2020年05月03日

オランダ滞在記(3)学校が閉じる,そのとき

山本寿子(東京女子大学・日本学術振興会)

2020年3月15日。オランダでは,子どもの学校,レストラン,カフェ,スポーツクラブなどの施設を一斉に閉鎖するとの報が流れました。

その日,アムステルダムから南へ180キロ,ベルギーとの国境を有するマーストリヒトに滞在していた私は,つい昨日まで満席の賑わいを見せていた広場のオープンカフェから人影が消え,椅子とパラソルが片付けられていく様子を目の当たりにしながら,これは大変なことになったのかもしれない,と事態の急変を感じました。脳裏によみがえったのはおよそ半月前の日本,小中学校の休校要請と,それに伴う世間の動揺。「学校を臨時休校とする」,それも一週間やそこらのことではない……自分の人生で当たり前のように学校教育の恩恵を享受してきた私にとって,これほど非日常といいますか,異常事態を感じる象徴は,なかったようにも思えます。そんな一斉休校の要請が出た瞬間を,このおよそ半月で,2回も経験してしまいました。

この直後に,研究のために訪れていたマーストリヒト大学からも,翌日からの大学閉鎖の方針が発表されます(さらにその後,対面実験の禁止も付け加えられました)。翌日,ひとまずはとキャンパスに向かったところ,お世話になっていた認知神経部門の建物に入ることができたものの,実験室の鍵は堅く閉ざされ,大学でのデータ収集を断念せざるを得ませんでした。


2月,日本にて

このような形でオランダ出張の終わりを迎えることは,本格的に実験の準備を始めた2020年1月の終わり頃には想像もつかないことでした。いえ,当時,日本でもぽつぽつと感染例が報告され,やがて「アジア人がコロナと言われ嫌がらせを受けた」などの差別の噂も耳にするようになってはいたのです。そんな中で,日本人の私がヨーロッパに行っても,実験を受けてくれる人が集まらないのではないか,という危惧はしていました。けれども一方で,それは「自分が本当に感染者である」とか,「ヨーロッパが感染の中心地になる」といった恐れとは,ほど遠かったようにも思えます。

それが,2月に入って日本国内のあちこちで感染例が増え,また横浜に停泊するダイヤモンドプリンセス号の集団感染がワールドニュースとして大々的に報道され,嫌でも感染の広がりを意識せざるを得なくなりました。徐々に日本からの入国を制限する地域が増え,自分の関わる界隈でも,海外からの研究者たちの来日取りやめに直面することになります。やがて実際に報告された感染者数も3桁に上り(ここで「自分が本当に感染者である」可能性を否定できなくなってくる),2月最終週には顔身体学のイベント,学会,実験のすべてがキャンセルとなりました。それでも,そんな中においても,子どもたちの学校は普段通りと聞くことで,まだ日常の中だ,と安心を得ていた部分が,私の中にあったのかもしれません。しかしそこに飛び込んできた,2月27日の日本政府からの一斉休校要請。奇しくも,と言ってよいのかはわかりませんが,同日,遠く離れたオランダでも,最初の感染例が報告されたのでした。


3月,オランダにて

それでも,私がオランダに旅立った3月上旬当時,河原さんのオランダ滞在記(1)にもその様子が見られるように,オランダ国内ではさほどの危機感を感じることはなかったように思います(もっとも,私が外国人だから読み取れなかった可能性は否定できませんが……)。また,それは日本人がヨーロッパを見る目についても言えたことで,今となっては「当時から全世界が危なかった」と後知恵でいくらでも言えますが,当時はやはり「アジアが危ない」という意識の方が強かったように思います。私の出張は日本の家族に心配されていたものの,それらはみな「日本からの入国が拒否されるのではないか。入国できたとしてもその後,日本からの飛行機が飛ばなくなることで帰国ができなくなるのではないか」という懸念によるものでした。そのような状態から,たったの一週間足らずであらゆる施設の一斉閉鎖に至るまで,特に記憶に残っている日を取り上げてみます。

3月9日

マーストリヒト大学はベルギーだけでなくドイツとの国境にも近く,また世界各国からの留学生も訪れており,国際色豊かな環境です。
この頃,徐々にオランダの感染者数も増えてきていましたが,試験や授業は通常通り実施されるとのことでした。ラボの大学院生にコロナウイルスの状況を尋ねてみたところ,「マーストリヒト大学でも感染者は出たけど,他の建物だから,ここに影響は出ていない」とのことでした。建物が違えばいいの?と驚きましたが,実際にマーストリヒト大学の敷地は大変大きく,建物の間を複数斜線の道路が貫き,広大な芝生で囲まれているので,そんなものなのかな,日本から来た私が気にしすぎていたのかな,とも思いました。

マーストリヒト大学の風景

マーストリヒト大学の風景

マーストリヒト大学の風景


3月10日

オランダのルッテ首相が「握手はやめよう」と提言した直後に早速握手をしてしまう,という動画が,日本でも「ほのぼのする」と話題になりました。この動画では,うっかり握手に気づいたルッテ首相が笑顔で相手の肩を叩いており,ソーシャル・ディスタンスの重要性は指摘されつつも,まだまだ徹底までに至っていない雰囲気が表れているようにも思います。私自身は,ラボミーティングでみなが近接して座り,ドライフルーツを手にとりながら会話をしていた様子を憶えています(ミーティングが終わったあとになって「距離をあけなきゃね」という話題は出たのですが)。

3月13日

事態が動きました。前夜12日,政府から100人以上の人の会合を禁じる通達がなされ,博物館,美術館なども突如閉館となったのです。マーストリヒト大学も,すべての対面授業をオンラインに移行すると発表しました。
学内で授業を行わないということから学生の実験参加者を集めづらくなるものの,実験は続けられるとのことでしたが……一足早いライデンの状況(大屋さんのオランダ滞在記(2)参照のこと)を聞いていた私は,マーストリヒト大学に入れなくなる可能性も考え,実験室から機材をすべて引き上げ,ラボの大学院生に実験方法の引継ぎを行いました(結局は3月15日の通達により,本当にこの日が実験室に入ることができた最後の日となったのでした)。
とうとう,「ヨーロッパが感染の中心地になる」恐怖が現実のものとして眼前に迫ってきたのです。日本のSNSでも「EUからの帰国者は隔離するべきだ」という声が高まり,「あれ,これはまさか本当に帰れなくなるのでは?日本に帰っても私が隔離されるとすると,家のことはどうしようか?」と心配になった私は,顔身体学の事務局とも相談を始めました。

3月15日

この日に,学校,レストラン,カフェ,スポーツクラブなどの施設の閉鎖が発表され,のちの大学閉鎖に繋がったのは先に述べた通り。政府の動きに対する大学の方針はただちにアップデートされ,それが毎日ウェブサイトで発表されていました。

ホテルのレストランも開けないため,朝食用にパン・リンゴ・ヨーグルトの入ったボックスが配られた

ホテルのレストランも開けないため,朝食用にパン・リンゴ・ヨーグルトの入ったボックスが配られた


ソーシャル・ディスタンスが徹底されるようになって。バスは前・中・後方ドアのどこからでも乗降できるが,運転士との距離を保つために前方ドアを閉鎖し,テープを貼って近づけないようにしている

ソーシャル・ディスタンスが徹底されるようになって。バスは前・中・後方ドアのどこからでも乗降できるが,運転士との距離を保つために前方ドアを閉鎖し,テープを貼って近づけないようにしている


大学の閉鎖を受けて,私も予定を早めて帰国する方針が決定。フライトや列車の急な減便が続く中,この4日後に無事,スタッフと先生方のご尽力で,無事に帰国することができました。顔身体学事務局の片岡さん,領域長の山口先生,計画班長の田中先生には,この場を借りて心よりお礼申し上げます。


日本とオランダの変化から今を考える

今このように振り返ってみても,オランダでの事態はまさに急変で,対応もそれに準じて1日,いや数時間で変化させていたという印象につきます。感染者の増加速度が日本を上回っていたことはあるにせよ,「事態が変わったから」という理由1つで,どんどん規則を最適化させていこうとする姿勢(もちろん最適かどうかは,まだわからないことではありますが)を感じました。

ここで私が思い出したのは,かつて,東洋先生が「日米のしつけ」のご研究で見出された,親が子を叱る際の発言に見られる文化差です。子どもが言うことをきかないとき,親が何と言って説得させようとするかを調査したところ,日本では「○○しなかったら,悲しい」というような気持ちに言及する発話が多く,一方アメリカでは「やりなさい」「やめなさい」といった権威を持った立場としての発話が多く見られた,というものです。もちろん,アメリカとオランダを「西洋」とひとくくりにして文化を語ることは乱暴ですが……私はこの研究が炙り出す日本の親子関係における情緒的な相互依存関係と似たものを,現在の情勢においてもどこか感じるのです。自粛か禁止か,周囲の目が動かすのか,明示的な規範に従うのか。文化間,いえ文化内ですらも分断が進む今だからこそ見えてくる差異の姿を切り取り,実験心理学の俎上に乗せる方法について考える毎日です。

(※2020年4月21日,オランダ政府から,小学校を5月11日から再開する見通しが発表されました)
posted by 新学術顔身体学 at 00:30| Comment(0) | 顔・身体学通信
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